記事でわかること
- 中世ヨーロッパの都市人口の構成
- 都市の周辺人口
大都市という理想
よくWEB小説の「小説家になろう」などでは、中世ヨーロッパ風と呼ばれる世界観が存在する。
そうした世界には必ずと言ってもいいほど大なり小なり「都市」が登場する。
だが、実際のところそういうファンタジー小説などのような都市というのは現実では存在しなかった。
中世ヨーロッパの時代。都市というのは、1,000〜2,000人程度、大きくても1〜2万人程度である。
なお、稀ではあるが人口2万人以上の都市も存在した。
また、大都市レベルの人口になると、多くの人が存在するがゆえに問題が発生する。
例えば、治安の悪化や反社会的勢力の台頭などの治安問題、都市内に住む住人のための食料や水などの死活問題、ゴミや廃棄物などの衛生面の問題など数多くの問題が挙げられる。
つまり、ファンタジーなどに出てくるような大都市というのは、現実では存在することが難しく、よって大都市が存在してもその維持には莫大な労力が必要だった。
中世ヨーロッパの総人口
中世盛期、特に12世紀〜13世紀のヨーロッパでは爆発的に人口が増加した。
しかし、ヨーロッパの人口について詳細に記した資料がないために明確な数字は不明とされている。
これは、当時の国家では戸籍の発行や国勢調査を頻繁にするほどの余裕がなかったからだ。
土地保有の推移や資源の状況などが詳細に記された中世イングランドの「ドゥームズデイ・ブック」[1086年]のような参照可能な史料は例外的なものだ。
ただ、大まかなイメージとしては史料の断片的な情報から想像はできるんだ。
そこでわかるのは、中世ヨーロッパで「大都市」と呼ばれるのは現在で言うところの「のどかな小都市」に分類される規模が大多数だ。
中世最大の都市パリでさえ、人口は5万〜15万人(時代や資料によって異なる)と現在に比べれば非常に少ない。
大部分の都市は人口1,000〜2,000人から6,000人ぐらいのものであり、大きくても1〜2万人程度である。
稀ではあるが、2万人を超える都市も存在した。
都市の周辺
中世ヨーロッパ社会では、比較的大きな都市というのは他の村落や町との協調関係を取ることが常識だった。
その理由としては、都市の農業基盤を支えるためである。
実際に、都市の農業基盤のために1日で移動できる限界の範囲である半径20〜30km以内に100ほどの町、村落などを各都市は衛星として持っていた。
西ヨーロッパを例に人口5,000人の大都市を考えた場合、周辺には1万人の農業従事者が存在していた。
都市人口の構成(例)
中世の都市人口の50%は子供、病人、老人が占めていた。
また、中世社会では極貧者が存在しており、そのほとんどが生活手段を持たない者だった。
これには、孤児や孤老などの他、乞食や泥棒までも含まれる。
例として、西ヨーロッパの都市5,000人を考えた場合、以下のようになる。
貴族…25人(1%)
聖職者…75人(3%)
専門職…75人(3%)
商人…100人(4%)
職人…250人(10%)
兵士…100人(4%)
使用人…375人(15%)
農業従事者…375人(15%)
肉体労働者…875人(35%)
極貧者…250人(10%)
内訳の総数は2,500人である。これは労働力を持たない子供、老人、病人2,500人(人口の50%)を除いた2,500人の人口構成を示している。
また、極貧者の半数は都市における犯罪要素であり、125人の犯罪者または犯罪者予備軍がこの都市にはいる事になる。
とはいえ、これはあくまで例だ。実際にはここに港などの交易路の中心であったり、鉱山などの鉱物資源が豊富だったり、広大な穀倉地帯の集積地だったりと加わる要素によってその人数は増減するんだ。
◇関連記事◇
【ファンタジー作家必見!】都市の特徴とその機能(現在鋭意、製作中)
まとめ
城壁に囲まれた都市の土地は限りがある。
そのため、都市の発展と共に流入してくる人々によって住民が溢れてしまうことも多々起こった。
実際に古代ギリシャでは都市に住民が溢れてきたら文字通り、都市ごと引っ越すなど行い、住民を受け入れていた。
一方、ローマではアパートのような3、4階の建物をいくつも建てて都市に流入してくる人々を受け入れた。
そして、中世の世界でも同じように領主は人々を受け入れては城壁を増設し市街地の面積を広げた。
中世の当時は都市の大きさがそのまま、領主や国王の力を表す良い単位となっており、大きい都市をいくつも抱える領主は国内における政治への発言力も増加していた。
しかし、人々の流入によって都市内では問題が発生し、しばしば人口流入が犯罪の温床になることが多かった。
それは都市の生み出す経済が不安定かつ権力に集中した事による貧富の格差が生んだ法の目の届かない無法地帯、スラム街を誕生させることになった。