記事からわかること
- アーサー王伝説とは
- アーサー王と円卓の騎士
- アーサー王が治めた国の名前と領域
- アーサー王伝説の史実性
アーサー王伝説とは?
西暦5〜6世紀のブリテン島(現グレートブリテン)において始まった土着民族のブリトン人と侵攻民族のサクソン人の間で始まった戦争を元にキリスト教的な理想君主像と中世騎士道に彩られた叙事詩のこと指す。
特にアーサー王は、土着民族であるブリトン人の将であり、侵攻民族であるサクソン人を戦争で打ち破り、ブリテン島をブリトン人のモノにした英雄とされる。
また、ブリトン人が住んでいたとされるウェールズ地方では今なお、サクソン人を打ち破ったアーサー王は英雄視されている。
アーサー王と円卓の騎士達
円卓の騎士とは、『アーサー王伝説』に登場する騎士達のことを指す。
アーサー王の臣下として高い忠誠心と武力を誇る、また気高い騎士道精神を併せ持った騎士たちでその数は、12人〜300と幅が広くどこまでが実際に円卓の騎士だったのかは不明とされる。
また、円卓の騎士の円卓というのは、上下座のない大きな円卓からきており、この円卓はアーサー王含め円卓に席を持つ騎士たちは皆、平等であることを示していた。
そのため、万が一にでも円卓の騎士が亡くなってしまった場合には空席を埋めるに相応しい騎士でなければ、マーリンがかけた魔法で弾き飛ばされ座ることができないようにされていた。
だが、12番目の席というのはアーサー王の席も含めれば13番目の席になるため、イエスキリストを裏切ったユダの席として呪いが掛けられていた。
そんな、12番目の席をランスロットの息子ガラハッドが挑んだ。
しかし、席に掛けられていた呪いは最も汚れの無い騎士が座ったとして無効化し、見事ガラハッドは13番目の円卓の騎士として迎え入れられた。
こうして、円卓の席は埋まり、やがて訪れる聖杯探索という名の冒険へ円卓の騎士達は旅立つ事になる。
アーサー王の国とは?
アーサー王が治めたとされる国の名前は、残念ながら不明。
アーサー王自身もキャメロットの都にある城、キャメロット城を拠点にしていたことしか書かれていない。
アーサー王の治めた王国の範囲を、現在のイギリスを拠点に、アイルランドとフランスの全土、そして、イタリアのローマ、バイクキングの多かったスカンディナヴィア半島の一部と西ヨーロッパの大半を占めている巨大王国だったことが分かった。
それほど広大な王国を収めたアーサー王は偉大な王として表されるのはある意味、当然なのかもしれない。
史実としてのアーサー王伝説
そもそもアーサー王伝説を史実として受け止めるには、いくつかの問題点がある。
1つ目は、時代背景がバラバラであること。
アーサー王伝説には、アーサー王を打倒ずべく立ち上がった11人の王達やバイキング、ローマ教皇、ノルマン人やサクソン人といった多種多様な民族や勢力が現れる。
仮に、全てが史実であった場合には、11人の王というのはイギリスが群雄割拠していた「七王国時代」の中小王国の国王達だと理解できる。
ただ、そうした時代にはローマ教皇が強大な権力でローマから遙か遠方にあるイギリスまで自分の影響力を及ぼすことはできない。
また、バイキングたちも同じように、バイキングによる襲撃は七王国時代の末期から終焉後に活発となっている。そのため、時代背景には合わない。
加えて、アーサー王伝説に出てくる騎士たちの活躍の場面である馬上試合の描写では、12世紀〜15世紀を彷彿とさせるものがある。
これでは、アーサー王伝説を史実だと受け止めるのは少し無理がある。
2つ目は、魔法や精霊、妖精の存在。
アーサー王が窮地に立った際、いつでも助けてくれたのは魔術師マーリンの存在と魔法、そして精霊や妖精の存在。
しかしながら、現在社会では魔法もなければ、精霊や妖精の類は今現在も確認されていない。
それなのに、アーサー王伝説には魔法や妖精、精霊がきっちりと書かれている。
3つ目は、アーサー王伝説で描かれているアーサー王の功績に関する史実的な史料が乏しいこと。
アーサー王はたったの一代で広大な領土の他、さまざまな文化発展を王国内にもたらした。
しかしながら、アーサー王の功績に関する史実的な史料の多くは現代にはあまり残っていない。
強いて残っている物ではアーサー王が生きたとされる5〜6世紀の時代からだいぶ後の14、15世紀になって記された「ブリタニア列王記」などの紙の史料のみ。
そのため、アーサー王伝説を史実とするには証拠が少なく、またその業績もにわかには信じ難いものであるため、アーサー王伝説は史実ではなく、後年になって創作された物語とされる。
そうして、アーサー王伝説が創作された物語だとすると、アーサー王伝説の主役であったアーサー王自身の存在も現代の研究者の中では疑問視されている。