この記事からわかること
- 中世ヨーロッパの貨幣経済の概要
- 中世ヨーロッパで銀貨が主流となった理由
- 金属貨幣の利用理由と権力者が彫刻された象徴的な意味
Contents
中世ヨーロッパの貨幣制度の概要
西ローマ帝国崩壊後の中世ヨーロッパ(5世紀後半〜)では、鉱山の枯渇や戦乱と略奪、信頼の低下などにより、貨幣の鋳造や流通が制限されたため貨幣の供給自体が限られていた。
加えて、中世ヨーロッパのではキリスト教の宗教的・道徳的な規制により、商業活動が不道徳とされることもあったため、貨幣を使った商業取引が制限されていた。
その結果、一般の人々は貨幣を所有していないか、貨幣を使う機会が少なくなり、次第に物々交換が主流の経済活動となった。
とはいえ、全ての経済活動が物々交換になったわけではなく、一部の商人や貴族、王族などは貨幣を主に利用していた。
また、中世ヨーロッパの封建制度下では、土地所有と農業が経済の中心であり、領主と農民の関係が主要な生活手段だった。
そのため、貨幣制度としての商業の重要性は制限される傾向があり、商業活動は貴族や王族にとって自分たちの特権や権力を脅かす要素として見なされることがあった。
その理由としては
- 商業活動によって富を蓄積することができる商人の登場により、貴族の特権的地位が相対的に低下する可能性がある(貴族の社会的地位の維持)
- 商業中心地の繁栄により、商人たちは地方の貴族や領主の支配下に入るのではなく、自分たちで自立することで独自の経済力や政治的発言力を持つことがあった。(統制力の低下)
- 商人たちの富が商業活動により増加することで、貴族や領主の経済的利益が商業活動に依存することになり、商人たちの経済力が貴族や領主の権力を脅かす可能性があった。(財政への影響)
などがあった。
しかし、封建制度下でも商業活動は存在していた。
特に都市部や商業の中心地では商人や職人が交易や手工業を営んでおり、都市の経済的な発展や人口の増加に寄与したりした。
銀貨が中世ヨーロッパで主流となった理由
中世ヨーロッパで貨幣といえば主に銀貨だった。
と言うのも中世の時代、古代ローマ帝国時代に普及した金貨を新しく鋳造するだけの資源がなかった。
新しい金鉱山はほぼなく、あったとしても採掘できる量には限りがあった。
そのため、貨幣として再度流通させるほどの量をカバーできず、金貨の鋳造は断念された。
例え、小規模ながらも採掘し一部高価な貨幣として流通させるにしても当時の金の価値が高すぎたため、略奪の危険性や利便性などに難点があり、貨幣としてとても扱えるものではなかった。
また当時、銀と言うのは中世ヨーロッパの比較的広い範囲で採掘できたため、貨幣として流通させるだけの量を賄うことができた。
加えて、銀貨の原材料となる銀は当時価値が高いながらも、高すぎなかったため大型の商取引や富の保管で利用できた。
また、古代に比べ中世の時代にはヨーロッパ中で銅貨も増えた。
銅貨も比較的採掘できる資源であったため貨幣として利用されたが、銅の価値の低さ故にあまり利用されなかった。
銅貨は小口決済の商取引でも利用はされたが、大型の商取引では利用や富の保管では利用されることはほぼなかった。
そのため、中世ヨーロッパでは銀貨が主流となった。
しかし、東ヨーロッパのビザンツ帝国では古代ローマ時代の金貨・銀貨・銅貨が主流であったため、金貨が中世の時代なかったわけではなかった。
実際に、ビザンツ帝国の金貨が西ヨーロッパで使われたこともあった。
ただ、ビザンツ帝国の生産・採掘する金の量ではヨーロッパ全体の需要を賄えなかったため中世の時代、金貨が主流となることはなかった。
中世ヨーロッパで金属貨幣が利用された理由
中世ヨーロッパにおいて、金属貨幣が利用された理由としては、以下の3つがある。
- 便利な交易手段(交易などの商取引における便宜性)
- 価値の統一(貨幣の標準化)
- 富の長期の保存性
そもそも中世ヨーロッパは、鉱山の枯渇や戦乱と略奪、信頼の低下などにより、貨幣の鋳造や流通が制限されたため貨幣の供給自体が限られていた。
そのため、一般の人々は貨幣を所有していないか、貨幣を使う機会が少なくなり、次第に物々交換が主流の経済活動となった。
しかし、交易などの場合、物々交換ではそもそもの取引が行えないため、普遍的な価値を持つ貨幣を利用した。
これによって商品の価値が明確になり、交易などの商取引に関してスムーズに行えるようになった。
とはいえ、どんな貨幣でも良いわけではなかった。
そこで、使われたのは金属貨幣だった。
金属貨幣は常に一定の重さや一定の純度で作られるため、基本的に価値は統一されていた。
これによって異なる地域間での取引が楽になり、経済が活発化した。
また金属貨幣は富の長期の保存という意味でも非常に便利であった。
金属は錆びにくく丈夫なため、富を長期間保存することもできたため、富を蓄積することが容易になった。
中世ヨーロッパの金属貨幣において権力者が彫刻した理由
中世ヨーロッパにおいて金属貨幣が時の権力者によって彫刻された理由は3つある。
- 権力の象徴(政治的主張)
- 経済の統制(統制と統一)
- 貨幣の信頼性
権力者は貨幣に自分の顔や名前を刻むことで、自身の支配力を示そうとした。
特に人々が日常的に利用する貨幣に自分の姿が刻まれることで、その統治力をアピールした。
また、権力者は貨幣の発行権を握ることで、経済そのものをコントロールした。
というのも、中世ヨーロッパ当時では流通税が存在し、流通税は流通と権力機構を映す鏡とされるくらい重要なものだった。
そのため、経済を支配した権力者は強大な権力を有するとして恐れられた。
加えて、経済を統制することで、支配者としての自身の支配領域に対して権力を強固なモノにできたため、権力者は経済を統制した。
また、当時の貨幣は金属貨幣であり、偽造防止のためにも貨幣に権力者の顔や名前を刻むことは一定の効果があった。
仮に偽造されたとしても、貨幣を偽造する際に権力者の顔や名前を削ったり、溶かしたりした時点で権力者は偽造しようとする人物を処罰できる口実もできた。
そのため、権力者は自分の権力をより周囲に示し、強固にし、崩されないようにするために便利な貨幣に自分の顔や名前を刻ませた。
まとめ
中世ヨーロッパの貨幣制度は、鉱山の枯渇や戦乱と略奪、信頼の低下などにより、貨幣の鋳造や流通が制限されたため貨幣の供給自体が限られていた。
そうした中で人々は貨幣を所有していないか、貨幣を使う機会が少なくなり、次第に物々交換が主流の経済活動となった。
とはいえ、全ての経済活動が物々交換になったわけではなく、一部の商人や貴族、王族などは貨幣を主に利用していた。
その上で、中世ヨーロッパでは銀が貨幣として利用された。
理由としては、
- ヨーロッパの広い範囲で採掘が可能だったこと
- 埋蔵量がある程度多く存在したこと
- 銀の価値自体がそこまで高すぎなかったこと
と言える。
また、中世ヨーロッパにおいて金属貨幣が普及した背景には、以下の理由が存在した。
- 便利な交易手段
- 価値の統一
- 富の長期保存性
金属貨幣は、当時において比較的価値のある貴金属で鋳造されたため、貴金属の純度や内蔵量に応じて貨幣にある程度の価値を保証した。
加えて、金属貨幣は例え単位の異なる地域間での取引であったとしても、利用されていた貴金属は銀であることが多かったため、普遍的な価値を持つものとして金属貨幣は交易にも利用された。
富の長期保存性においても金属貨幣は有効で、銀は生モノのよう腐ったり、動物のように突然動いたりはしないので富を保存するには便利だった。
これらの要素が存在したため、中世ヨーロッパでは銀貨が普及し、全ての人々ではないけれども貨幣経済が一部では利用されたりした。
ただし、当時の貨幣自体には未だ問題点・課題点も多くこれらの課題点をクリアするのは早くても近世になってからだった。
下記のリンクで『中世ヨーロッパの貨幣の課題や問題点』について解説しているため、中世ヨーロッパにおいて存在した貨幣の問題点についてより詳しく知りたい、気になるという人がいるのであれば、見てみるのをオススメする。