記事からわかること
- 中世ヨーロッパの築城とその費用
- 中世ヨーロッパの城の特徴と防衛設備
- 中世ヨーロッパの城での生活
Contents
中世ヨーロッパの築城費用とは?
残念ながら、中世ヨーロッパの城の築城費用は一概にはいえない。
というのも、時代や場所、城の規模や労働力の数などによって変化したからだ。
また、当時の費用を現代価値に正確に換算することも難しい。
そのため、築城の費用はこれだ!という金額はないが、一応参考程度におおまかな指標として以下のものがある。
費用 | 例 | |
小規模な城(木造の砦と土塁) 【10世紀後半〜(イングランドにおいて)13世紀頃まで】 |
約100〜200ポンド (約7200万〜1億4400万円) |
ウィンザー城など |
中規模な城(石造で基本的な防衛力を持つ城) 【11世紀後半〜】 |
約500〜2,000ポンド (約3億6000万円〜14億4000万円) |
ウォリック城など |
大規模な城(都市を囲むほどの城壁をもつ城) 【12世紀〜15世紀】 |
約5,000〜25,000ポンド (約36億〜180億円) |
カーナーヴォン城など |
*上記の表は、中世イングランド当時の1ポンド=72万円(2000年頃の日本円)で換算しています。参考1
中世ヨーロッパの城の建設計画とは?
中世ヨーロッパで城を建築したいと考えた場合、以下のような手順を踏むことになる。
なお、当記事ではイングランドで築城した場合を想定して説明する。
王の許可をもらう
まず、城を築城したい場合は、王の許可が必要だった。
特に王にしてみれば、いかに臣下とはいえ城は軍事要塞であることに変わりはしない。
それが自国を外敵から守る盾となるなら歓迎はするものの、城の存在自体が反逆の拠点となってしまうのは避けたい。
そして、王は過去の苦い経験から反逆の拠点に城がよく使われるなんてことは知っていた。
そのため、新規で城を築城するには王の許可証が必要であり、また場合によっては城の構造がわかる構造図の提出が求められた。
これは万が一にでも侵攻してきた敵軍に取られたり、反逆の拠点となった場合に王が敵対勢力を排除するために使うのに利用された。
原則として、王の認可しない城の建設は違法となり、最悪の場合、反乱の兆し有りとして軍が差し向けられ殺されても文句は言えなかった。
ただし、国内が不安定で王を名乗る人物が複数人いた場合には、できるだけ自分が政治的に支持している王に許可をもらうか。
一番影響力の大きい王に許可してもらうか、地理的に一番近い王に許可をもらうか(敵対を防ぐため)、どちらの王にも許可をもらうのか。
などの選択を行う必要性があった。
設計者を雇う
さて、王からの許可をもらえれば、次は城の設計者が必要。
基本的に城の設計者は自分で探すか、人脈を使い紹介してもらうかのどちらかだった。
ただし中には、王からの褒美として王室御用達の設計者を利用することもできた。
城の設計者は基本的に経験豊富な名工で、石工やレンガ職人として複数の建設現場で長い修行を終え、教会や城の建設業者から専門的な訓練を受けた人物だった。
そのため、腕の良い設計者は高く、また引っ張りだこだったためなかなか見つからないことがあった。
城の設計者はまず初めに以下の内容を主軸に依頼主の要望を聞いた。
- 建てる場所はどこか?(港のある海岸線なのか、山の上か、平原が広がる場所なのかなど)
- 計画している予算はどのくらいか?
- 大きさはどのくらいか?(小規模なのか、中規模なのか、大規模なのか)
- そのような設備が欲しいか?(兵舎がいるのか、居住スペースが必要なのか、籠城のための井戸が必要なのかなど)
などを聞き取り、その中で自分が見てきた城を参考に、新しく確立された技術革新を組み込みつつ城の設計を行った。
場所を決める
上の方でも述べたように、場所は城の設計者と協議の上で決めることがあった。
ただ、中には政治的な理由で建てなければならない場所もあり、そのような場合物理上建てられる場所を決めなければならなかった。
例えば、崖の上などがそうだった。
崖の上に城を建てる場合、難攻不落の城になりやすい反面、城自体の重さが地盤を歪み。
建設途中に城が崩れるなんて事故も起こる可能性があった。
建てる範囲を決める
城は基本的に大きければ大きいほど費用が跳ね上がるモノのため、予算内で建てられる大きさを確認する必要があった。
そのため、現地での測量による建設範囲などを決める必要性があった。
資材の調達
許可ももらい、設計者は雇い入れた。
城を建築する場所も範囲も決めたとなれば、あとは城を建築するための物資を調達することが重要だった。
城は想像以上に物資を消耗させてしまうため、とにかく資材を調達しなければいけなかった。
特段、使う石材や木材は設計者が希望したものを調達できなければ、自分が出した要望に応えることができないため、妥協は許されなかった。
また、それに伴い設計者の希望する労働者数や職人の数の調達も必要だった。
王の許可をもらう際には基本的に、城の建設予定地周辺に住む農村から賦役の義務を課す権利も一緒に渡されたため、これらを利用することあったが、足りない場合は募集をかけるなどのこともあった。
特に職人は貴重だったため、募集することが多かった。
基礎工事
さて、すべての準備が整ったらあとは工事を行うだけ。
とはいえ、当時の設計図は基本的に城の設計者が持つモノや王に提出した2つくらいしかないため、城の設計者が直接工事現場に出向いて、口頭で指示を出していた。
その上で、基礎工事としてまずは地面の掘削を行い、城の基礎を作るところから始まった。
この工程を疎かにしてしまうと城が安定して立たなくなるため、手を抜くことは許されなかった。
また、基礎石の設置なども行った。
基礎石は通常、重くて大きな石を使うことが多く、これが全体の安定性高める役割を果たした。
ちなみに、ここの工程だけで数週間から数ヶ月の工事期間が必要だった。
外壁や塔などの建設
基礎が完成したら、外壁の建設に移り、塔などの建設も始まる。
塔の高さや外壁の厚さによって変更はあるもののこの工程だけでも1年〜3年の工事期間が必要だった。
また、この段階で多くの場合、戦争の開始や資金繰りが悪くなる可能性があるため、建設途中で築城が中止となることもあった。
居住エリア・内部構造
外壁や塔を建設し始めるとほぼ同時期にこちらの工事も並行して行った。
このタイミングで、城の中の建築も始まり、食堂や兵舎、武器庫、王の部屋なども作られた。
ただし、最初に要望した部屋の数や機能、使用する材料や装飾の有無によって異なるもののおおよそ半年〜2年の工事期間を必要とした。
防衛設備
ここまでくると多くの場合、当初の計画とは異なる要望、主に防衛に関しての要望が出ることがあった。
そのため、これらの要望に応えるべく、堀の深さを調整したり城壁の強化として桟橋をつけたりといった工夫や門や門塔の複雑化させ、敵の侵入を拒むような機能を持たせたりした。
この工事の期間は、基礎ができていた場合には比較的に早くできたりしたが、それでも数ヶ月〜1年の期間は必要だった。
その他の工事
その他の工事があれば別途ここで最終調整した。
それこそ、城の増築や修理などはこのタイミングで行われた。
中には礼拝堂に収める石像の搬入や礼拝堂での装飾工事もあった。
防衛設備のテスト
最後に、防衛設備のテストが行われた。
例えば、桟橋の具合や門の開閉がきちんとできるか。
門の入り口にある殺人孔(狭間)などから敵が見えるのかなどのテストが行われた。
完成
上記の全てが完成し問題等なければ、晴れて完成。
このタイミングで城は完全に依頼主へ渡されるが、中には居住エリアや最低限の防衛設備が整った段階で住み始める貴族もいた。
とはいえ、このタイミングまで木造の小さな城(ほぼ砦のような見た目)で数ヶ月〜1年程度、石造りの中規模の城で2〜5年。
大規模な石造りの城で5〜10年。場合によってはそれ以上の年月がかかり、依頼主も代替わりしていることがあった。
メンテナンス
とはいえ、城は完成以降もメンテナンスは必要だった。
それこそ、門の開閉機能や居住エリアのメンテナンス(雨漏りの修理)などがあった。
まとめ
築城の流れは現代と比べほとんど差はない。
しかし、ながら現代とは違い、使う道具は非常に原始的で人力に頼るところが大きい。
そのため、人件費などのコストも現在と比べて大きく、資金を圧迫したり、原始的な道具等によって今よりは工事の期間が長くなったりした。
だが、それを鑑みても城は当時の最先端の建築物であり、その堅牢さは現在まで続くものだった。
また、城は幾多の知恵と工夫が施されているために、当時の人々が何に怯え対策し、どう人々を治めたかったのかが分かるものだった。
そんな、城を攻め落とす方法が気になる人は別記事にまとめたのでこちらも見てみるのもいいかも!
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【参考文献&URL】
参考1:しらかわ ただひこ."ヨーロッパの中世".コインの散歩道.2006-05-11.
https://coin-walk.site/E024.htm(参照2023-09-16)