【中世ヨーロッパ】鎧としての鎖帷子と農民兵の装備を徹底解説!

中世ヨーロッパの農民兵

 

高峰 遼一
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どうも高峰です!(@takamineryoiti
どうもアイリです!
アイリ
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記事からわかること

  • 鎖帷子 / チェインメイルの価値・性能・防御力とは?
  • 季節別、地形別の鎖帷子 / チェインメイルの弊害とは?

 

そんなクロスアーマー / キャンべゾン・革鎧についてはこちらで解説している。

 

鎖帷子 / チェインメイルの価値・性能・防御力

鎖帷子は中世ヨーロッパでは非常に強い防具で圧倒的な防御力を当時としては誇った。

 

事実、鎖帷子を着た状態ではほとんどの剣による斬撃・槍の攻撃を防ぐことができたのだから強い。

とはいえ、剣による衝撃までは防げなかったので、切り裂くという攻撃をほぼ無効化できる鎧は強いと評価された。

 

しかし、そんな鎖帷子も無敵ではない。

槍や剣による刺突攻撃には弱かった部分がある。

 

鎖帷子は鎧としてはリングで、槍や剣の先を網のように受け止めることで勢いを急激に無くさせるものだった。

だが、鎖帷子も力が一点集中する攻撃(刺突攻撃)を無限に受け止められることはなく、徐々に金属疲労などで消耗していった。

そして、消耗したリングは剥がれ落ちては穴ができてしまうこともある。

そうなると後は刺突攻撃を防ぐ手立てを失うので、そういった意味での刺突攻撃への弱さはあった。

ただこれは全て、あくまでも消耗することで起きるものだった。

 

そのため、きちんと手入れされていたり、良質な鋼で作られたリングの鎖帷子ならばよっぽど問題なかった。

 

さらに、弱点としてあったのが打撃への耐性である。鎖帷子自体には打撃を防ぐ手段がなかったのだ。

殴られた際には、中に着込んだクロスアーマー / キャンべゾンが衝撃を吸収してなんとかなることが一般的だった。

 

鎖帷子 / チェインメイルの主な素材と特徴

鎖帷子の構造はそんなに難しくない。

むしろ簡単なものである。

 

鎖帷子は基本的に1:4とされる鉄製(正確には鋼)のリングの構造をしていた。

1つの主軸のリングに4つのリングが連携する形で鎧全体が繋ぎ合わせられた。

 

ちなみに、中にはデザイン性を考慮して、鎖帷子の縁をあえて黄金で作らせることで、メタリックな鎖帷子に金色を彩らせることもあった。

 

鎖帷子 / チェインメイルの1着の制作時間とコスト・手入れ

ならば、なぜそこまで鎖帷子は高級品とされたのか?

それは、人件費である。

何事も職人による手作業による生産が主流の中世ヨーロッパにおいて、製作時間の長さ=人件費となった。

 

そもそも、鎖帷子は1着作るだけで28,000〜50,000個のリングが必要だった。

さらに、14世紀以降で防御力を高めたより厚手の鎖帷子では、より多くのリングが求められた。

高峰 遼一
高峰 遼一
ちなみに、騎士が頭の先から足のつま先までを覆う鎖帷子を作るには約20万個ほどのリングが必要だった。

 

それだけの数のリングを、鎖状にして服のように仕立て上げるには、どれだけの時間がかかるか?

それは1着の鎖帷子に対して何人の職人が分担して作業を行うかで変わる。

 

とはいえ、1人の職人が行う場合、以下のような制作時間が発生した。

鎖帷子の1着(上着のシャツのみ)あたり最低でも75日。(日曜と祝日除く、1日10時間労働と想定して)

また、14世紀以降の厚手の鎖帷子は1着(上着のシャツのみ)あたり最低でも100日。(日曜日と祝日除く、1日10時間労働と想定して)

 

そんな鎖帷子は非常に高価だったのはわかるだろう。

ちなみに、14世紀初頭フランドルのブルージュにおいて購入された鎖帷子は”遠征中の兵士の60〜130日分”の賃金に相当した。

 

一応、15世紀になると”遠征中の兵士の約25日分”の賃金まで下がったものの、鎖帷子の再利用によるものもあった。

なので、新しくても実際にはところどころ、古い鎖帷子の部分が繋ぎ合わせられたこともあった。

そのため、人件費を抑え、比較的安価で鎖帷子を用意することもできた。

 

鎖帷子の手入れは、非常に大変で、メンテナンスは常に欠かせなかった。

その中でも鎖帷子は錆びてボロボロにならないためにも主に『予防』が重要だった。

 

金属の錆を防ぐ主な方法は、金属の表面に何かしらの保護膜を覆うことだった。

ワックスとオイルは当時としては金属製の装備を保護するために一般的に利用されていたものの、使用のたびに再度塗布することが必要だった。

これは、細かい傷が錆びの原因になるからである。

このような細かい傷からの錆を防ぐために使用後すぐに保護することで錆を防ぎ、鎖帷子の寿命を伸ばすことができた。

 

では、錆がついた場合どうすればよかったのか?

それは研磨することだけだった。

主に、砂と酢の混ぜ物としての洗浄液を樽に入れて、転がし回すことで余すことなく研磨することで、錆を落とした。

また、足りない部分に関しては手作業で錆を落としていた。

 

ちなみに、鎖帷子は自己洗浄もできた。

正確には鎖帷子に油を塗って、鎧としてきちんと着用したまま動けば、クロスアーマー / キャンべゾンなどが擦れ、綺麗になることもあった。

とはいえ、完璧ではなかったのでどちらにせよ、洗浄液に浸からせて研磨することで綺麗にすることはできた。

 

そんな鎖帷子は基本的に貴族ならば従者に任せて綺麗に保たせた。

貴族の懐事情にもよるが、1人から2人は従者がおり、鎧を脱いですぐに磨き始めた。

また、鎖帷子を洗うために4人の作業員が1日6ペンスで雇われ、45日間ものあいだ様々な鎖帷子が入った樽を転がして綺麗にした。

 

【季節別】鎧としての鎖帷子 / チェインメイルがもたらした弊害

季節ごとに好まれた鎧はもちろんあった。

とはいえ、防御力が高い鎖帷子が常に良いものだとされるわけではなかった。

 

以下は季節別に好まれたであろう鎧を紹介する。

【春】どんな鎧も好まれた季節!されど平和時には快適性重視!

冬が明けた春は、温暖で比較的快適に過ごせた季節である。

そのため、戦争があるかないかで好まれる鎧は変わった。

 

貴族でも視察程度ならば軽装で、巡回した。

それこそ、クロスアーマー / キャンべゾンや革鎧などである。

 

これらの鎧は比較的快適性が高いため、春の季節がよくマッッチした。

 

ただ、盗賊の被害があるとされる場所では一定の鎧を着込むこともあった。

また、冬前からの戦争が続いていたのであれば、奇襲を恐れて防御力の高い鎖帷子を持ち出す貴族もいた。

 

【夏】熱中症と闘いながら戦争に備えられる革鎧 / レザーアーマーを選ぶ季節!

夏はどこだって暑い。

特段、中世ヨーロッパではクーラーのようなものもなかったし、氷などそうそう手に入ることはなかった。

 

そのため、野戦として炎天下での戦闘をする場合、熱がこもりやすい鎧などは非常に苦しいものだった。

例えば、鎖帷子で炎天下の中、戦闘でもしようものならばいかに屈強な騎士といえども、熱中症になったりする。

 

無論、中世当時では熱中症として捉えていなかったかもしれない。

とはいえ、熱中症は死にいたる物なので、夏での戦いでは防御力はそこそこに通気性など快適性を上げた革鎧などが好まれた。

 

ただ、革鎧はそれでも全体としては蒸れやすく、通気性が悪いため非常に不快感のある物だった。

しかし、熱中症にならず、ある程度の防御力を確保できたのは他ならぬ革鎧だった。

 

そんな夏場でも短期的な襲撃だったり、一時的な戦闘(決戦など)だけを行う場合には防御力を高めるためにも鎖帷子を着込んで戦いに挑んだりした。

【秋】戦争が主だった季節!何より重視は鎖帷子 / チェインメイルの防御力!

秋になると戦争の季節としてあちこちで戦闘が繰り広げられた。

食料などの物資が比較的、現地調達が可能なこの季節では戦争というのはチャンスだった。

 

そんな季節で求められたのは防御力ーーーーすなわち『戦闘で生き残るための力』であった。

 

秋の戦争の季節になって鎖帷子はその本領を遺憾無く発揮した。

季節的にも暑すぎず、寒すぎないこの季節では、鎧はいかに防御力を持つかで生き残れるかが決まった。

 

とはいえ、鎖帷子は高価だったのでそう易々と準備はできなかった。

そのため、どの貴族も自分たちが持つ中でメンテナンスが行き届いており、尚且つ防御力の高い鎧を身につけて戦場を駆け巡った。

 

中世全盛期や中世後期には鎖帷子は比較的ポピュラーなものになったために、この時期にはベースとして鎖帷子を見に纏うことは多かった。

ただ、中世全盛期や中世後期にはフルプレートアーマーなどのより高価で防御力の高い鎧があったので、それらを後の時代になって持ち出す貴族などもいた。

 

【冬】防御力より暖かさ重視のクロスアーマー / キャンべゾンが好まれた!

冬になると、流石に例外を除いてどんな戦争も自然休戦する。

これには、冬の間の戦争コストが比較的上がるためだった。

 

現代とは違い、暖房が基本的にない中世では家の外も家の中も寒かった。

せいぜい、暖炉の前や焚き火の周囲だけが暖かかった。

 

そんなものだからか、鎖帷子などの鉄製武具は酷く冷たくなり、生身で触れようものならば、凍傷のリスクもあった。

だからこそ、温かいクロスアーマー / キャンべゾンなどが求められた。

中には革鎧もあったが、革鎧は防御力こそあったものの、中には熱を維持するものはなかったので基本的にはクロスアーマー / キャンべゾンが好まれた。

無論、財力のある人は併用して備えていたこともある。

とはいえ、戦闘リスクがほぼない冬場では快適性の高い服装が主流であったのは間違いない。

 

そして、そんな冬に鎖帷子を見に纏うことは低体温症を引き起こすことにもつながったので、あまり着られなかった。

もしくは、鎖帷子を着たとしてもその上にコートなどの防寒具を被せて、着用していたので動きはかなり制限されたし、必然的に鎧などの衣類が重くのしかかった。

 

【地形別】鎧としての鎖帷子/ チェインメイルがもたらした弊害

戦場で重要なのは地形とされるように、鎧ごとにも地形に適したものがあった。

特段、水辺はどの鎧も不利であったのは理解できるが、水辺以外でも地形としてどのような影響が鎧によって引き起こされたのかを紹介する。

 

平野・丘陵での鎖帷子 / チェインメイルの弊害

平野や丘陵では、鎧の弊害はさほどなかった。

もちろん、クロスアーマーより重量のある鎖帷子の方が疲れやすいなどの弊害はあったものの、基本的に地形による弊害差はなかった。

 

むしろ、季節的にどうだったかによって鎧の弊害が出た。

それこそ、上記でも述べたように鎖帷子でも夏場ならば熱中症のリスクが非常に高かった。

これは平野では影となるものがなかったためである。

 

森での鎖帷子 / チェインメイルの弊害

森では、どのようなスタイルで戦争するかで少し異なった。

例えば、奇襲や強襲などといった場合には、鎖帷子はあまり良くなかった。

 

隠密性能があまりない、鎖帷子は動くたびにジャリジャリやシャリシャリといった金属の擦れ合う音が出たためである。

中には、ここを鳴らさないようにできた者もいただろうが、基本的には鎖帷子は音が鳴ることが多かった。

そのため、相手の隙を突く必要がある場合には待ち伏せとして、事前に配置についてから攻めることがあった。

 

徐々に忍び寄ることはできなかったのも鎖帷子の弱点と言えるだろう。

 

また、鎖帷子はその重さのために、足場の悪い森の中では人によって重荷になることもあり不利に働くこともあった。

 

山岳での鎖帷子 / チェインメイルの弊害

山岳でも森同様に鎖帷子はごく多少の不利さはあった。

これは、鎖帷子が金属性であるが故に、標高の高い山岳特有の冷たい冷気により金属が冷たくなり、低体温症を引き起こすこともあった。

 

無論、そうした地形に赴く場合には、コートを羽織るなどの事前に対策などしていたりと行動はした。

しかし、現代ほど適切な処置や優れた防寒具がなかった時代においては限度があった。

 

また、そこまで標高の高くない山岳では鎖帷子は依然として重かったため、

 

 

海・川での鎖帷子 / チェインメイルの弊害

これは革鎧や鎖帷子にとっては最悪の地形だった。

そもそも、鎧は防御力に比例して固く重くが原則のため、泳ぐことをそもそも前提としていなかった。

そのため、一度海や川などに落ちた場合、いかに水泳が得意なものでも溺れて亡くなることは平然とあった。

 

これは、泳ぎの問題ではなく、鎧の性質であった。

例えば、革鎧は防水処理したとはいえ、水を吸うと重くなるため、川などに落ちた場合、即座に脱ぎ捨てなければならないほど危険が高いものだった。

鎖帷子も同じように、金属は重いので重しとなる場合が多く、泳いで渡ることは自殺行為とされた。

 

ギリギリ行けた可能性があるのはクロスアーマー / キャンべゾンなどである。

とはいえ、水泳が得意な人が粗末なクロスアーマー / キャンべゾンなどを身に纏って、ようやく川を泳いで渡ることができるほどのものだった。

よって、川向こうに敵がいる場合、必ず橋を渡る必要があったのはまさにこの部分で川を兵士が超えることがほぼ不可能であったからである。

 

【例外】湿地帯での鎖帷子 / チェインメイルの弊害

ちなみに、湿地帯では原則戦闘はしなかった。

と言うのも、湿地帯は鎧を着た物にとって地獄であったからである。

 

まず、湿地帯の足場は非常に不安定で転びやすいほか、足を取られるので、機動性がほぼ失われた。

これはどの鎧でもそうだった。

その上で、湿地帯には水が豊富にあったので、足元を掬われ、転けた先が水であれば、もはや自力では立ち上がれないほど危険な場所だった。

 

よって、敵軍が湿地帯に逃げた場合、追撃はせずに放置した。

これは鎧が兵士の命を脅かす大きなデメリットになるためだった。

とはいえ、軽装のクロスアーマー程度であれば、多少闘うことはできたのでリスクを覚悟に、湿地帯へ相手連れ込んで軽装の自分たちで始末することは戦略上存在した。

 

【まとめ】鎧としての鎖帷子/ チェインメイルの装備

鎖帷子の防御力は、中世ヨーロッパ初期においては無敵に近い防御力を誇った。

しかし、鋼自体の質により、刺突攻撃が弱点だった。

また、打撃への防御がなかったことも鎖帷子の弱点だった。

 

そのため、鎖帷子を着ている相手に対して打撃を与え、無力化することが戦場では定番となった。

 

そんな、鎖帷子の1着(上着のシャツのみ)は最低でも75日。(日曜と祝日除く、1日10時間労働と想定して)

また、14世紀以降の厚手の鎖帷子は1着(上着のシャツのみ)あたり最低でも100日。(日曜日と祝日除く、1日10時間労働と想定して)

ほどの制作時間が発生した。

とはいえ、これは全ての工程を1人の職人が行うことで発生した時間なので、同じ職人を多数抱えればそれ相応の数は揃えられた。

 

とはいえ、高価だったのは変わりない。

 

また、メンテナンスも重要で貴族は1人から2人は従者がおり、鎧を脱いですぐに磨き始めた。

時と場合には、鎖帷子を洗うために4人の作業員が1日6ペンスで雇われ、45日間ものあいだ様々な鎖帷子が入った樽を転がして綺麗にしてメンテナンスした。

 


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