【中世ヨーロッパ】騎士の懐事情〜現実は甘くない〜

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高峰 遼一
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アイリ
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記事からわかること

  • 中世ヨーロッパの騎士は裕福だったのか?
  • 騎士でいるための維持費とは?

中世ヨーロッパの騎士の懐事情とは?

騎士は叙勲されることで、君主となる貴族や王様と主従契約を結び、さまざまな権利を受け、義務を負った。

 

そんな騎士の懐事情はどうだったのか?

今回はその内容を解説していく。

《関連記事》騎士の仕事・役割とは?

 

中世ヨーロッパの騎士は裕福だったのか?

中世ヨーロッパにおいて、騎士は多くの場合としては裕福ではなかった。

というのも、騎士はあくまで村や小さな町を1〜3個ほどしか管理していなかったからである。

 

しかし、当時としては十分な高給取りだったのは間違いない。

村や小さな宿場町など1つ与えられることで、騎士は少なくとも生活費を賄えるぐらいには稼げたためである。

 

つまり、騎士になった者は叙勲され、主従関係を結んだ。

そのタイミングで”与えられた土地”が定まり、その土地からの収益を自分の所得として得ることができたのである。

実際に騎士を叙勲させた君主は与えた土地の管理を騎士に丸投げできるので、結構便利だった。

 

そして、騎士が与えられた土地から得ることのできる所得というのは当時としては「1家族が日々の生活を維持することのできる」ものであった。

だが、贅沢ができるほどのものではなく、正確には所得と支出がトントンになるかもしくは若干足りなかったというのが基本だった。

そのため、騎士もやむにやまれぬ事情で略奪などをしたことはあった。

また、戦争時での略奪も騎士たちにとっては、遠征で寂しくなった懐事情を再び暖かくさせることができたので喜ばれた。

高峰 遼一
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このことから、戦争時での略奪を止めようとする王様には、それ相応の報酬の支払いが要求された背景がある。

 

しかし、いつまでも騎士が貧しかったというわけではない。

騎士の中には、内政手腕があったことで、任された土地にある村を発展させて、所得を増やした者もいる。

とはいえ、数は少なくまた、発展させるだけの十分な資源がある土地は多くの場合君主が譲ることはなかったため、騎士はかなり苦労した。

 

騎士でいるための維持費とは?

そんな騎士でいるための維持費というのは、結構高い。

 

実際に、騎士は戦場において、自前の武具を用意することが求められたたため、一回の遠征あたりかなりの額を利用した。

騎士の装備として最低限、鎧(キャンべゾン・鎖帷子、革鎧)、剣、盾、槍、斧、軍馬は求められた。

そのため、これらを日常的に買えては、常用できるように管理する必要性があった。

 

特に馬は非常に高価で、騎士がまたがって戦争でパニックを起こさない強い馬を手にいれることは、騎士にとっては非常に重要なことだった。

さらに、そのような馬は維持費もバカにはできず、飼葉はかなり消費した。

加えて、騎士の軍馬は最低で1頭あれば良いとされたが、戦争で馬がやられることなどがあったため、予備の馬を引き連れることもあった。

そのような場合は、やはり平常時でも馬を育て、維持するコストがかかったのでバカにはできなかった。

 

騎士はそうした中で、鎧や剣、斧などといった武具のメンテナンス費用のほかに、君主に対しての新年の土産や祝いの品などの用意で支出が多かった。

さらに、騎士は君主から基本的に「経費込みの報酬として土地を与える」ことが前提とする主従契約を結んでいたため、不作で十分な収益が土地から得られない場合は、経済的に没落することはあった。

 

また、騎士は基本的に1人ではないので、家族を養う生活費とその家族を支える使用人もしくは奴隷の生活費すらも払っていることが多かった。

いかに、使用人や奴隷といえども、騎士の家に君主が巡回として泊まることもあったため、それなりの身だしなみをしていることが求められた。

そして、その負担はすべて騎士が担うことが求められた。

 

【中世ヨーロッパ】騎士の懐事情〜現実は甘くない〜 まとめ

騎士は、このようにして少ない所得の中でやりくりしながら、どうにかこうにかと遠征費用や武具の手入れ、日々の生活費を賄った。

 

特段、不作の場合には経済的に没落して、略奪することもあったが、中には己の内政手腕でどうにか与えられた土地を発展させて、所得を増やしたりもした。

その中で、騎士が商人に対してお金を借りることも、教会より支援をもらうこともあった。

しかし、多くの場合、騎士は商人からのお金は踏み倒すことがあり、教会からの様々な横槍に苛立つこともあった。

 

それでも、当時としては騎士であることは、名誉であり、十分な高給取りであったことは間違いはなかった。

 

1〜3つほどの村もしくは小さな町を支配していた騎士は、普通の農民と比較しても食料不足で越冬ができるかなどの不安に苛まれることが比較的なかった。

正確には、越冬をするほどの準備が整ったかどうか、その際の敵からの略奪はどうなのかというより、政治的な問題を抱えていたものの、日常生活が送れないほどのひっ迫した不安はなかった。

 


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