
記事からわかること
- 中世ヨーロッパの戦争とは?
- 中世ヨーロッパの戦争が高い理由
Contents
中世ヨーロッパの戦争とは?
封建社会が基本であった中世ヨーロッパにおいて、戦争は様々な理由で発生した。
その中には、でっちあげられた嘘や誇張表現された理由により発生したもののある。
そうした戦争の多くは、資源を求めての戦争か征服欲を満たすための戦争が多かった。
つまり、実際に国を守る戦争を行ったというよりも「やられる前にやる」ための戦争が多かった。
そんな中世ヨーロッパの戦争は、現代から見て、比較的小規模だった。
それこそ、一般的な戦争は数百人〜数千人程度で小競り合い感覚が多かった。
これは、当時としては決して珍しくはない規模で、むしろ数百〜数千人の軍隊は当時としては平均的と言える。
こうした人数で主に行ったのは、包囲戦を主体とする陣取りゲームのような戦争であった。
つまり、基本的には攻め手も守り手も、城を獲ること城を守ることが基本の戦略だった。
城を獲るための包囲戦を展開した理由としては、城の倉庫にある資源と城の周辺にある土地の支配権を得ることができるためだった。
そのため、攻め手は城を獲ることを、守り手は城を守ることを重視した。
その結果、包囲戦が基本となった。
では、野戦はしなかったのかというとそうではない。
野戦もした。だが、野戦での敗北は包囲戦での敗北より痛手だった。
というのも、野戦での敗北は王様にとって逃げる姿を民に見せてしまうために、今後の影響として弱い印象を与えることになる。
それに加えて、野戦での敗北は戦争そのものを維持できなくなるほどの損害を軍として受けることになる。
そのため、野戦を行う際には慎重になることが多かった。
また、野戦で勝ったとしても城を獲ることができなければ、その勝利は戦争に貢献などはしなかったため、野戦は避けられる傾向があった。
加えて、野戦での敗北は主に自軍の貴族が捕縛されることによって、軍が崩壊することもあったため、貴族によってはあまり好まなかった。
中世ヨーロッパの戦争はなぜそんなに高いのか?
そんな、中世ヨーロッパの戦争はなぜ、高かったのかと言われると戦争という大量消費による資源の流出があったためである。
戦争をする場合、当時としては王様が貴族を招集して、兵力を拠出した。
封建社会では兵力の拠出は義務であったものの、そうして集められた農民兵たちや騎士たちは裸ではなかった。
彼らも彼らなりに武器防具を身につけた。
例えば、騎士は軍馬や槍、鎧、剣などを装備したが、これらはどれもタダではなかった。
無論、槍、剣などは鍛冶職人に研いでもらい、鎧は磨いてもらわなければいざという時に使えなかったため、かなりのコストがかかった。
馬もそうである。
戦地に行くまでの間の飼葉の調達や騎士自身の食事、水などの資源も基本的に自前とはいえ、費用はかかった。
そして、実際に王の元に集った時にはそうした戦略資源を集めて、必要な人に行き渡らせるようにしなければ軍として機能しなかった。
そのため、王はこれらの費用を持つことが求められた。
騎士が戦地で剣が折れた場合、陣営にいる王が連れてきた鍛冶職人に頼み込んで直してもらうなどのこともあったが、この費用は王が請け負ったりすることがあった。
そうした要素が組み合わさり、中世ヨーロッパの戦争は費用が発生した。
だからと言って、小規模ならば少額になるのではないかと考えそうであるが、そうではない。
当時は何かを作る場合、基本的に手作りだ。
つまり、矢一本にしても作り方が一人一人違う。
その上、職人が作ることになるので、結構な時間が求められた。
そう考えた場合、職人が作業に取りかかっている間の人件費は膨大だった。
何も工場があるわけではないので、矢を一本作るのに職人が3〜4時間ほどかかるイメージだった。
また、矢は一本では戦力にならないので、基本的に大量生産が必要だがその割には結構コストがかかっていたと言える。
総じて、
・軍馬の飼葉や武器防具の修理用の鉄資源
・各兵士や騎士たちの食事と水・ワインなどの飲料水
・攻城戦を早く終わらせるための攻城兵器の製作費
・野営のための薪資源
など様々な資源を調達しては、軍を維持する間支払い続けることが必要だったため、戦争はかなり高価になった。
中世ヨーロッパの軍事戦略とは?城取りは効果あり?
中世ヨーロッパの戦争は、城攻め前提の陣取りゲームと上記では説明した。
では、果たして城を獲る効果はあったのかというと結構あった。
上記でも述べたように攻め手にとって、敵地で安全圏を得るのは大きなアドバンテージだった。
特段、兵士たちが安全に休める場所は精神的にもよかった。
そのため、城を手にいれることはかなり重要だった。
また、政治的にも重要だった。
というのも、城は周辺地域の支配を意味するので、城を落とす=周辺地域で抵抗される場所はないということを意味するためである。
中にはゲリラ戦術で森などで奇襲を受けることはあったものの、基本的に城を落とせば、城以外で攻められることはほとんどなくなった。
これは、城が攻められた際に最後の守り手として機能するためであった。
さらに、城を落とされたということは、当時としては最新鋭の防御設備を備えた場所が陥落したということで、それは逆にいえば最新鋭の防御設備すら破壊もしくは無効化できるだけの戦力や兵器を保有していることになり、抵抗しても無駄であることん裏返しでもあった。
故に、攻められたら、城を落とされないようにするのは自軍の士気を落とさないようにするためだけでなく、支配権を相手に渡さないためにも重要だった。
そして、攻め手からすると城を落とすことは何りよりも重要だったのは、敵地での安全圏の確保や敵地の支配権の保有による戦争優位を得ることができたためである。
また、城を獲ることで、城に蓄えられた豊富な資源を得ることで軍を維持しやすくすることも、後方からの補給物資を集積できる場所を得るためにも重要だった。
中世ヨーロッパの兵站とは?敵に糧を取るのはやはり最強!
そんな、中世ヨーロッパでは、兵站は機能しなかった。
そもそも、舗装された道路がない中で、山道や獣道を大量の物資を持って往来できるのは現実的ではなかった。
そのため、食料や水などは必要最低限を持って、穀物の収穫時期になる秋を狙って、攻めることが多かった。
秋に攻めた場合、敵の領地では小麦などが実っているので、食料を運ばなくても食料に困ることはなかった。
また、川辺を基本として移動していた場合、飲み水に困ることもなかったため、敵に糧を取る戦略は強かった。
さらに、当時の貴族も機動力に優れた軍が戦力を上回ることや戦争を優位に進めることができたのを経験則的に知っていたために、食料や水を運ぶことでの移動速度の低下を恐れたのも、敵地での略奪を好んだ理由でもある。
中世ヨーロッパの戦争で勝つための基本戦術
そんな中世ヨーロッパでの戦争で勝つためには、どうすれば良いのか?
それは、自軍を素早く終結させ、怒涛の勢いで城や都市を落とし、その支配権を誇示することで勝利するのが望ましかった。
とはいえ、これらはあくまでも理想であり、現実はそんなに甘くはなかった。
敵も馬鹿ではないので、無論抵抗してくる。それによって想像以上に時間を失うこともあった。
また、天候が変わって思うように進軍できないこともあれば、敵の奇襲で損害を受けることもあった。
そのため、謀略で寝返りを誘導したりして、事前に勝ちやすいような状況づくりをしておくことが王や貴族には求められた。
それでも正直勝率は高くはなかったので、敵となる相手が弱った状態を狙って襲うことが最もよしとされた。
つまり、内戦や反乱といった火事場に乗じて、隣国が攻めてくるのは当たり前だったのだ。
戦争に勝つためにはどんな手段でも使って、最大限の効果を発揮できるように地盤固めをするのが最も勝率の高い戦略だった。
そして、それは現代とは大きく違った。
敵に糧を取りつつ、素早く勢いよく支配権を確保することで戦争を有利に終わらせることができたのだ。
中世ヨーロッパの戦勝国と敗戦国、勝者の権利とは?
そんな戦勝国はどのような形で、戦争を終わらせたのか?
主に、条約を結ぶことで戦争を終わらせた。
これは現代にも通じるものの、現代とは違って無条件降伏というものはなかった。
つまり、降伏する敗戦国に対しても一定の権利があったのだ。
そして、それを考えて戦勝国は自分に有利な講和条件を提示することが望まれた。
なぜならば、講和がなされないということは、必然的に継戦となり、軍を維持する必要性の高い攻め手がジリ貧になることが多かったためである。
とはいえ、戦勝国側は以下のような条件を盛り込むことが多かった。
・領地の割譲
・河川の支配権
・賠償金
・婚姻(王族によるもの)
・既存条約の破棄や一部変更など
・人質の提供(次期王の留学)
・人材の譲渡(職人達の流出)
これらを受け、敗戦国が現状の敗戦状況から鑑みて、飲める条件を受けて戦争を終えることもあった。
とはいえ、飲めない条件に対しては、継戦の意思を示して戦勝国に諦めさせることもあった。