Contents
記事からわかること
- 中世ヨーロッパの馬車
- 馬車の移動速度
- 陸路での旅の危険さと大変さ
中世ヨーロッパの移動手段としての馬車
帆船と並んで中世ヨーロッパな世界観で有名な「馬車」。
海の帆船に陸の馬車。
それはまさに、中世の人々にとって唯一とも言える運搬手段であり、中世社会を陰から支えてきた流通手段だった。
海の帆船についてはこちらから。
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中世ヨーロッパの交通事情 “河川・海篇”
中世ヨーロッパの馬車とは?
そもそも、馬車というものは種類も豊富であり、その用途によっても異なるが厳密な分類体系があるわけではない。
そのため、ここでは具体的に以下の3つを紹介しよう。
- 荷物などを運搬する荷馬車《ワゴン》
- 一頭立ての二輪用馬車《コート》
- 二頭立てで四輪、屋根ドア付き常用馬車《コーチ》
荷物の運搬で使われる荷馬車《ワゴン》
主に、荷物を運ぶために作られた馬車であり、中世ヨーロッパ風のファンタジー作品に出てくる商人などの馬車によく使われる。
そんな《ワゴン》だが、中世ヨーロッパの道は舗装されていないことが多く、荷物を満載しているとすぐにぬかるみにハマって、抜け出すことができなくなることが一般的だった。
(以下、イメージ)
具体的な荷馬車の大きさや一度に積めることのできる量などは探しても見つからなかったため、荷馬車の詳細な情報を記載することはできない。
しかし、代わりに18世紀後半~19世紀のアメリカやカナダで広く使われた”コネストーガ幌馬車”の情報を載せたいと思う。
1750年頃のアメリカ、ペンシルベニア州を起源に持つ”コネストーガ幌馬車”は多くの場合、鉄道がアメリカで発展するまでの陸上輸送手段として活動し、1820年代頃の輸送費レートは、
重さ 100ポンド(約45㎏)
距離 100マイル(約160㎞)
速度 約15マイル(25㎞)/日
で、当時の価格で約1ドル(現代日本円にして1,975.79円:約2,000円)。
この”コネストーガ幌馬車”は最大8頭の馬、または1ダース(12頭)の雄牛によってけん引された。
このためにコネストーガ馬(重ドラフト馬に続く特殊な馬)が開発された。
また、馬車部分にも多くの工夫が施され、床は積載物の転倒や横滑りを防ぐために上向きに湾曲している。
平均的なコネストーガ幌馬車は、
全長 18フィート(約5.4m)
全高 11フィート(約3.3m)
全幅 4フィート(約1.2m)
のサイズ感でおよそ1万2,000ポンド(約5.4トン)の貨物を輸送できた。
車体の亀裂には浸水を防ぐためのタールが詰まれており、悪天候時では上の写真のように白いキャンバス製の幌がかかる。
車体の骨格やサスペンションなどは木製だが、車輪により耐久性を持たせるために鉄製のリムが用いられていた。
車体側面には水樽が配置され、ツールボックスには車体修理用の道具が一式収納されていた。
車体後方にあるエサ箱は馬にエサをやるために使われた。
農民の多くが使う馬車《コート》
農民の多くが自らの田畑で作られた穀物や野菜、一部特産品としての果物などを運ぶのに使ったこの馬車は、多くの場合、駄馬だけではなく、牛なども使われた。
とはいうものの、《コート》の値段は高く、中世ヨーロッパの農民の多くは持っていなかった。
そのため、一部の領主は村に貸し出すために《コート》を買い、貸出料を村に要求した。
また、駄馬の飼育においても近隣の村に任せる一方で、《コート》の使用優先権や貸出料の減額などが行われた。
《コート》積載量は約1~2トンあり、2輪の物と4輪の物があった。
大きさも《ワゴン》と同じだけの大きさもあれば、人一人で押すことができる小型のタイプもあった。
貴族が使う高級馬車《コーチ》
貴族の使う乗車用馬車は(調べた限りで)価格は約3,000万円もする貴族専用の乗り物だった。
どうしても、物の値段が高くなるんだ。
加えて、中世はサスペンションもない時代なため、その乗り心地は悪く、実際に馬車での移動は一日の労働に匹敵し、ある程度整備された道しか走れなかった。
また、ぬかるみなどにハマってしまえば、乗客や貴族を下ろし、押して脱出させないといけない不便な乗り物だった。
加えて、少し大きめの石を踏んだりしてしまうと簡単に横転してしまう事故が多発した。実際、中世イングランドでは馬車の横転による死亡事故が各地で相次いだ。
冬場においても馬車の外で護衛や運転をする御者などが寒さで凍死してしまう事態が発生した。
中世ヨーロッパでの馬車の移動速度
馬車の移動速度は牽引する馬の数によって異なるが多くの場合、馬は2頭~4頭で牽引するため大体4㎞/h~14㎞/h程度であった。
また、馬車は自動車と違い、連続して移動できなかった。
そのため、歩く方が馬車を使うより早いことがしばしば起きていた。
それでも、馬車の運動量は大きく《コーチ》を例にすると以下の感じで移動できた。
常歩…6㎞/h (2時間歩いて30分の休憩で1日、行動可能)
速歩…15㎞/h (連続1時間が限度)
駆歩…20~30㎞/h (20~30分が限界)
襲歩…60㎞/h (5分が限界)
中世ヨーロッパの馬車での旅行や旅
馬車での旅行や旅というのは、積載量によって大きく制限された。
実際に積載する量を調整すれば、遠くまで補給することなく移動できた。
但し、それを踏まえても多くの場合、村と村、都市と都市、都市と宿場、宿場と村を繋ぐ道でしか移動することはなかった。
その理由としては、馬車は高級な乗り物や運搬手段であり、途中に補給地点があるなら使うことが当たり前だった。
そのため、わざわざ危険を冒すようなことは少なかった。
また、同じ理由で旅商人は多くの場合、先祖より受け取った周辺の地図をたどりながら商売を行うことが多く、周辺の地図は代々家宝とされるくらい大事にされ、他の商人には秘匿された。
舗装道路のない中世において、上記でも述べた通り、ぬかるみで立ち往生、石に乗り上げて横転などは日常茶飯事であった。
中でも、盗賊に襲撃されたり、乗客の乗り逃げであったり、横転や転落による怪我など、様々なトラブルが馬車の旅行、旅に付きまとった。
特に、盗賊対策は貨物や商品を運搬する商人や貴族にとっては重要課題であった。
馬車はたとえ《ワゴン》であっても高級品であるため、盗賊のターゲットにされやすかった。
そのため、商人などは自身で武装したり、または傭兵を雇い、護衛をしてもらうなどの対策を行った。
それでも、雇った傭兵の気が変われば襲ってくることもあったため、商人は護衛の傭兵に対して、食事や寝床の確保はもちろんのこと、賃金までそれなりのものを用意するなど細心の注意を払った。
貴族に関しても商人と同じように護衛を付けたが、比較的裕福な貴族は私兵を雇っている為に商人のように護衛の兵に裏切られることは少なかったものの、貴族やその家族を罠にかけるという意味では、襲われることもあった。
また、遠方への旅行や遠征の際には、日程を合わせて各地で必要な分を揃えるなど行う一方で、物資を運ぶ輸送馬車を用意した。
しかし、輸送馬車も物資を消費するため、遠方であればあるほど、必要な物資と輸送する人員、護衛の数は増加することになった。
加えて、人が増えれば増えるほどトラブルも起こりやすくなるため、そこまでの遠征や遠方への旅行や旅は実施されなかった。
中世ヨーロッパの交通事情 “馬車篇” まとめ
馬車は、
- 荷物などを運搬する荷馬車《ワゴン》
- 一頭立ての二輪用馬車《コート》
- 二頭立てで四輪、屋根ドア付き常用馬車《コーチ》
の3つがあり、移動速度は大体4㎞/h~14㎞/hと遅く、舗装道路でしか使えない、すぐに横転する、乗り心地は最悪とまでデメリットが多かった。
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