【中世ヨーロッパ】騎士は貴族?その仕事や役割とは?

黒い森でこちらを睨む騎士の画像

高峰 遼一
高峰 遼一
どうも高峰です!(@takamineryoiti
どうもアイリです!
アイリ
アイリ

 

記事からわかること

  • 中世ヨーロッパにおける「騎士」とは?
  • 騎士は貴族なのか?
  • 騎士の爵位の高さとは?

中世ヨーロッパにおける「騎士」とは?

中世ヨーロッパにおける「騎士」とは、王ないし貴族より『騎士の称号を叙勲された者』であった。

これは即ち、主従契約を結ぶということである。

 

これを現代の感覚で言うと、大企業の社長もしくは役員から認められ「うちにきなよ」と言われ、実際に入社すると言うような感覚のもの。

 

そのため、騎士は主従契約を結んだ相手を「君主」と呼び、原則としてその人の指示に従った。

高峰 遼一
高峰 遼一
なお、主従契約を結んだ相手が王でなかったとしても騎士は、貴族を君主と呼んだ。
そうなのね!
アイリ
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なお、騎士は伝統として主従契約を結んだ君主より上位の相手に対しては従う必要性はなかった。

これは、騎士としては自分を従えているのは主従契約を結んだ相手のみであり、それ以外の人からの指示は受け入れる道理がないと考えが一般的だったからである。

 

とはいえ、実際には君主の面目を保つ必要性が騎士にはあったので、従うこともしばしばあった。

ただ、それでも直接的な命令はくだされなかったので、無視することもできた。

 

つまり、中世ヨーロッパにおける騎士とは、「騎士の称号を授与され主従契約を結んだ者」だけが名乗ることが許されたものである。

 

逆にいえば、騎士の称号を授与され主従契約を結べば、誰でも騎士となることができた。

騎士は貴族なのか?それとも平民なのか?

では、そんな騎士は、貴族だったのか?

それとも平民なのか?

 

正確には、騎士は貴族と平民の間にある身分だった。

と言うのも、平民よりかは身分は高いものの、貴族と言えるほど富があったわけでも、権力を保有したわけでもなかったためである。

 

騎士が栄えた中世ヨーロッパ全盛期では、封建社会であった。

つまり、「土地を持ち、守り栄えさせることができること」が貴族であり、それができない存在は貴族ではないと言う常識があった。

 

とはいえ、実際には貴族も爵位を授与されることで土地を持つことができたので、流れとしては騎士に近いものだった。

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さて、話を戻すと、騎士は貴族と平民の間にある身分だった。

これは現代でいうところの個人事業主のような存在で、会社員ほど会社に縛られているわけではないものの、企業経営者のように完全に自由というわけでもない存在、それが騎士という身分のイメージである。

 

騎士の仕事・役割とは?

そんな騎士の仕事や役割とは何か。

よくあるのは戦時での従軍である。

では、平時ではどうなのかというと、基本的に当初の主従契約に盛り込まれた業務を遂行することだった。

例えば、騎士が結んだ主従契約には様々なものがあった。

 

土地が与えられた場合騎士は「与えられた土地を守り、豊かにすること」が君主より求められた。

その理由としては、騎士は君主の手足となることで、君主の土地を管理することが仕事とされたためである。

だが、これは何も悪い話ではなかった。

 

というのも、君主より与えられた土地を発展させることで、騎士は自分の取り分を増やすことが認められたためである。

そのために、騎士は与えられた土地の中に脱税などの犯罪を犯すような者がいた場合、逮捕することで秩序をもたらすことが要求された。

そして、その見返りとして君主は、戦時における従軍を騎士に要求した。

従軍の際には、土地持ちの騎士ならば必ず、兵数を要求された。

それも、与えられた土地の広さと人口、豊かさに応じて求められる兵数は異なった。

高峰 遼一
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この兵数が足りない場合、君主は恥を欠いて、他貴族から誹りを受けたこともあるため、騎士はなんとしてでも兵数を多く出す必要があった。

 

また、土地を与えられない場合もあった。

これは、与える土地がない場合などがその代表例であるが、これも騎士にとっては悪い話ではなかった。

というのも、この場合の騎士は家や必要な家具は与えられたためである。

 

そして、生活に必要な支援を君主より与えられたため、不自由はなかった。

中には、月給制のようにお金が支払われた騎士もいた。

 

とはいえ、土地を与えられなかった騎士の仕事は多種多様だった。

例えば、君主の家の警備から君主の指示に従って狩りをサポートしたり、君主の家族を護衛したりとなんでもこなした。

これは君主の命令に従うことで、騎士としての最低限の仕事を果たしたためである。

 

そんな騎士も従軍が求められれば、馳せ参じることが義務だった。

ただ、土地持ちの騎士とは異なり、兵数を揃える必要はなかったのはある。

代わりに、騎士としての戦闘力や指揮・作戦立案などの軍事的なスキルが求められた。

 

平民が騎士になることができたのか?

そんな騎士に憧れて、平民が騎士になることはあったのか?

 

その答えとしては「ある」と言える。

しかし、ほぼなく例外的に存在したと言える程度だった。

 

そのため、平民が騎士になるということは本来なかった。

 

上記でも述べたように騎士の仕事は、戦時での戦闘や平時での土地管理である。

そのような仕事を、読み書きもままならない当時の平民ができたと言えるかと言われると、ほぼ無理と言えるだろう。

 

実際に、読み書きもできない平民が土地管理などしようものならば、大惨事になることこの上ないだろう。

 

考えてみてほしい。

自分の住む地区町村の議員たち全員が読み書きも計算もできないとした場合、自分の税金がどのように管理されるかを。

確かに、そう考えるとちょっと怖いわね…。ゾクッとしたわ。
アイリ
アイリ

 

そのリスクがあったため、貴族は基本的に最低限の教育すら受けていない平民を「騎士」にはしなかった。

つまり、そのリスクに目を瞑ることのできる軍事的な戦果と将来的な成長性としての地頭の良さが垣間見えた場合、平民でも騎士に叙勲されたことはあった。

 

騎士の爵位は高かったのか?

では、そんな騎士の爵位は高いものだったかというとそうではない。

むしろ、貴族以下平民以上となんとも微妙な身分であった。

 

とはいえ、明らかに違いはあった。

平民は騎士には敬意を評した。

 

これは、騎士が強い存在だったからというのもあるが、騎士は土地持ちであれば「貴族の入り口に立った者」と言えた為だった。

 

土地持ちの騎士は、そこまで広い土地を管理はしなかった。

せいぜい今でいうところの町村を1〜3個ほどだった。

それでも当時の平民からすると村や町を直接、管理している偉い人というのは変わりなかった。

 

年に1回訪れるかどうかの騎士の君主としての貴族よりも、自分たちに近く偉い存在の騎士の方に親近感が湧いたのは当然と言える。

 

また、実際に土地持ちの騎士は、与えられた土地においては「領主」と言えた為、平民も尊敬した。

 

だが、社会的な意味や身分的な意味での爵位としては騎士は高くはなかった。

 

その根拠としては、あくまでも騎士は自分たちが働いて得ることが多かった為である。

つまり、騎士は戦場で武勲を上げるもしくは与えられた土地を管理して、発展させることで資産を増やす存在であり、貴族のように管理するだけで増やせる存在ではなかった。

 

そのために、貴族の中の爵位としては、騎士は最下級だった。

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そんな騎士であるが、貴族の子息のほとんどは必ず騎士を目指した。

その理由としては、騎士は少なくとも戦える存在としては、優秀であったためだった。

 

貴族にとっては土地を守れる力を持つのは、土地を支配する正当な証であった。

故に、土地を守れない貴族は、土地が奪われたとしても支配する力を持たなかった貴族が悪いとされて、没落もやむなしと評価された。

だから、貴族の子息は土地を支配する正当性を維持するためにも、騎士の叙勲を求めた。

 

実際に王としても、叙勲を介して貴族の子息たちが訓練し、より強大な軍事力して存在して、国内を取り締まることができたので悪い話でもなかった。

 

騎士にも盗賊がいたという事実

そんな騎士は必ずしも、よく知られる騎士道精神旺盛な高潔な人物や集団ではなかった。

 

中には、盗賊紛いの行為に手を染める騎士もいた。

 

これは当時の時代背景として、土地管理能力の持たない騎士が経済的な困窮から脱却するために、自慢の武力を使って犯行に及ぶことがあったためだった。

当時としても、これらは許されたものではないが、そのような騎士はうまいこと君主には媚を売っていたので、ある程度は黙認される傾向があった。

 

実際に君主の貴族としても経済的な困窮から騎士が反乱を起こして攻めてきたとするだけで、近隣の貴族からは貴族としての面目が立たず、誹りを受けたほか、統治能力に難ありと国王より言われたとしても否定できないため、目を瞑ったことがあった。

 

また、騎士と全面対決して失う戦力や戦場となったことで失う領土の経済的な損失を鑑みれば、敵対するより一時凌ぎの犯行には目を瞑るのもやぶさかではなかったというのもある。

 

この際に被害に遭うのも平民側であり、貴族側ではなかったので対岸の火事程度として懸念はすれども、直接干渉するほどでもなかったとして内々に処理することもあった。

 

【まとめ】中世ヨーロッパにおける騎士とは?

フルプレートアーマーを纏ったマネキンの画像

中世ヨーロッパの騎士は『騎士の称号を授与された者』だった。

 

そして、騎士の称号を授与されることは、叙勲を行う相手と自動的に主従関係を築くことであった。

その主従関係において、騎士は己の業務としての責任と義務を果たし、叙勲相手の貴族や王から権利をもらった。

 

その権利の多くは、時代の変化とともに変わった。

しかし、土地であった場合には封建領土を得られたので、当時としては悪くはなかった。

また、仮に月給であったとしても生活が安定することになるので、当時の時代背景としては決して悪くはなかった。

 

そんな騎士は、貴族ではなかったものの「限りなく貴族に近い存在」とされた。

それほどまでに騎士は身分としては高かったものの爵位としては低かった。

 

日々の仕事に対しても同じで、月給制ならば君主からの指示に従うことが求められた。

また、土地持ちならば、土地の管理などもしなければならなかったため、決して暇ではなかった。

 

そして特段重要なのは、戦時下における従軍が必須だったことである。

騎士は、戦時下では重要な戦力だったため、日々の体調管理から日々のトレーニングを欠かすことは許されなかった。

 

そのような騎士に憧れる平民もいたが、現実は厳しくほぼなるのが不可能なほど困難を極めた。

とは言え、地頭の良さと多大な戦果を残せる武功があれば、貴族の目に留まり叙勲を介して騎士になることはできた。

 

そして、忘れてはならないのが、騎士も同じ人間であったということだ。

騎士道に語られるような騎士は、誰もが尊敬するようなものであるが、実際にはそういう騎士は珍しくほとんどが、現実主義的だった。

 

そのため、経済的な困窮から一時的な盗賊紛いの行為を行うこともあったが、これらは大ごとにならない限りは貴族が目を瞑ることで内々に処理されウヤムヤにされた。

 

そんな姿こそが、中世ヨーロッパの騎士だったと言える。

 


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