騎士たちが活躍した中世西ヨーロッパの軍隊

高峰 遼一
高峰 遼一
どうも高峰です!(@takamineryoiti
どうもアイリです!
アイリ
アイリ

記事からわかること

  • 中世ヨーロッパの軍隊とその実態
  • 中世ヨーロッパの軍隊の行軍速度
  • 中世ヨーロッパの軍隊の規模

中世ヨーロッパの軍隊とは?

中世ヨーロッパの軍隊というのは、中世の前期、全盛期、後期で異なるばかりか、ヨーロッパという広いエリアでも異なる。

そこでまず初めに、タイトルにもある『中世ヨーロッパの軍隊』という言葉自体を定義したいと思う。

なるほど!
アイリ
アイリ

まず、当記事で定義する『中世』と言うのは、銃や大砲などの火器の登場しないーーーーいわゆる、騎士たちが馬に乗って戦った時代である、5世紀〜10世紀(前期〜全盛期)を指す。

また、『ヨーロッパ』という広いエリアについても、当記事では現イギリス・フランスなどの西ヨーロッパを指すと考えてほしい。

つまり、タイトルの『中世ヨーロッパの軍隊』と言うのは、具体的に『中世前期から全盛期にかけて騎士たちが活躍した西ヨーロッパの軍隊』を意味する。

高峰 遼一
高峰 遼一
だから、このことを念頭に置いてこの記事を読んでほしい!
わかったわ!!
アイリ
アイリ

なお、中世ヨーロッパの戦争については下記のリンクからチェック‼️

中世ヨーロッパの軍隊とその実態

騎士たちが活躍した前期から全盛期までの中世西ヨーロッパ世界の軍隊とその多くというのは、古くから存在していた古代ローマ帝国式の軍事制度と戦術を採用していた。

ではその軍事制度と戦術とは何か?

それは重装歩兵による盾を強固な壁とする「金床」騎兵戦力による衝撃力を生かした「ハンマー」

そして、それらを補うように支援する弓兵などの諸兵科連合の軍による『金床戦術』が基本だったのだ。

また、軍事制度においても古代ローマ帝国のように国家の軍事力を二つに大別していた。

その二つと言うのは、防御的な役割を主に担う地方の軍と中央政府の攻撃的な役割を担う主力軍だ。

中世の時代。広大な領土をたった一つの軍で守り切るのはほぼ不可能だった。

そのため、国家の軍事力が地方の有力者に依存しており、地方軍の存在は欠かせなかった。

特段、いつ誰がどこで敵となるのかわからない中世の時代においては、たとえ地方の軍に叛逆を起こされるというリスクを背負ってもなお広い国土を守るにはそうするしか手がなかった。

そうだったんだね。
アイリ
アイリ

しかし、そうした古代ローマ帝国式の軍事制度や戦術というのは、古代ローマ帝国という国が長年苦労して築いてきた文化や伝統、社会経済があって初めて機能するものだった。

そのため、古代ローマ帝国の文化や伝統、社会経済が消滅してしまった中世においては、それらの機能は徐々に機能しなくなっていった。

一例をあげるなら、古代ローマ帝国には厳格すぎるぐらいの規律と徹底した標準化が存在していた。

しかし、中世以降では古代ローマ帝国が持っていた厳格な規律も徹底した標準化すらも徐々に失われていった。

特に西ヨーロッパでは権力の分散により、古代ローマ帝国軍のような大規模による組織的な軍事行動や戦術というのが取れなくなったのだ。

実際に中世以降、重装歩兵は弱体化し、前述した「金床戦術」を戦場で作り出し、敵を食い止める程の威力は無くなっていた。

また、古代ローマ帝国を支えていた地中海を舞台としたグローバル経済の衰退によって、中世では国家主導による良質な資源による高品質な装備の確保や育成に莫大なコストがかかる騎兵戦力の造成は困難となった。

なんか、ちょっと残念……
アイリ
アイリ

そのため、中世ヨーロッパの軍隊というのは、それぞれが独自の全く新しい軍事制度や戦術を生み出しながら敵国の兵と戦場で戦ったのだ。

軍隊の行軍速度

では、そうした中世ヨーロッパの軍隊というのは、実際にどれくらいの速度で持って行軍し、戦場に赴いたのか。

確かに、気になる!!
アイリ
アイリ
高峰 遼一
高峰 遼一
そうだね。でも、どれくらいの速度で行軍したのかという記録は残念ながらないんだ。
そうなの!? なんか、期待して損した……。
アイリ
アイリ

しかしながら、ある程度の予想は可能だ。

例に出してみれば、以下のようなものがある。

古代で覇権を握っていた古代ローマ帝国の軍は、25km/日で行軍していた。

他にも中世時代の行軍速度に近い資料としては、イングランドの薔薇戦争におけるエドワード4世の51km/日がある。

ただし、エドワード4世のこの記録は少数かつ強行軍だったためあまり参考にはならないかもしれない。

一方、ヨーロッパから程近いオリエントではイスラム帝国が24km/日という行軍速度を叩き出している。

イスラム帝国の行軍速度がここまで速いというのは、食料や武器などの補給を海上から受けるを前提とした装備をしていたためだった。

また、中世後期に世界の覇権を握ったモンゴルでは驚異の70km/日!!

とはいえ、これは騎兵が主力のモンゴルだからこその行軍速度。

高峰 遼一
高峰 遼一
日本で有名な秀吉の「中国大返し」は46km/日。
ヨーロッパを征服しようとしたナポレオンの大陸軍で19km/日なんだ。
なんか、意外ね。
アイリ
アイリ
高峰 遼一
高峰 遼一
ちなみに、自作の小説では原則8〜20km/日を想定して書いているんだ。

中世ヨーロッパの軍隊規模

では、中世ヨーロッパの軍隊規模とはどのようなものだったか。

残念ながら、こちらも正確な数字というのは資料が乏しいため出せない。

やっぱり、資料がないと難しいんだね。
アイリ
アイリ
高峰 遼一
高峰 遼一
そうなんだ。ただ、そうした中でも他の地域と比べたり、当時の国力や領土からある程度の予想は可能なんだ。

実際に中世前期において、栄華を誇り西ヨーロッパを再統一したカロリング朝フランク王国では、カール大帝の時期で約7万〜8万を動員できたと考えられている。

また、同じく中世前期で活躍したイスラム帝国では、7世紀後半からウマイヤ朝の帝国で総戦力30万。特に主力軍のシリア軍だけで約6万もあった。

ビザンツ帝国も上記の王国、帝国に負けず劣らず、ユスティニアヌス大帝の再征服時で最大約40万人を動員できた。

ちなみに、補足だが古代ローマ帝国は総兵力75万人を動員できたのだから、中世前期の時点で上記のような軍を動員できるのは驚異というほかない。

さすが、地中海を制覇しただけのことはあるね!!
アイリ
アイリ
高峰 遼一
高峰 遼一
そうかもね。ただ、中世ヨーロッパには傭兵なども存在していたから、場合によっては10万同士規模の戦争も行ったのかも知れない。

まとめ

騎士たちが活躍した中世ヨーロッパの軍隊というのは、

古代ローマ帝国から受け継いできた軍事制度や戦術を利用しながらも、独自に発展し全く新しい戦術や軍事制度を誕生させた。

また、移動速度も古代に比べて比較的遅かったかも知れないが、場合によっては想像以上の素早さで行軍できた。

そして、その軍隊規模も傭兵などを利用して万を超えるような人数を揃えることもできた。

高峰 遼一
高峰 遼一
中世の時代、ヨーロッパの軍隊は鈍くそれでいて規模も小さく、正面衝突しかできなかったというようなイメージを持たれるかも知れないが、(もちろん中にはイメージ通りの戦いもあったかも知れないが)実際にはそれだけではなかった。

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アイリ
アイリ

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