
人工的に盛り上げた丘(モット)に、塔(キープ)を建設し、周囲を柵などで囲んだ城郭形式をモット・アンド・ベイリーという。
主に、北ヨーロッパの低地やイギリスなどでよく見られる。
このモット・アンド・ベイリーは、中世初期に登場した城郭形式であり、主に木造で建設された。
特徴としては、当時としては安価で簡素でありながらも襲撃に優れた性能を誇るお城だったということ。
そのため、ヴァイキングなどに悩まされていた地域において広く普及した。
ここでは、モット・アンド・ベイリーがどのような城なのかを解説しつつ、その実態について紹介する。
なお、中世ヨーロッパの城に関しては、別記事でも解説している。
中世ヨーロッパの城の建設コストと築城までどれぐらいかかったのか?
Contents
記事からわかること
- モット・アンド・ベイリーの強さ
- モット・アンド・ベイリーが普及した理由
- モット・アンド・ベイリーの弱点
モット・アンド・ベイリーは ”即席の木造城”
モットアンドベイリーは即席の木造城。
この城は、機能性重視の素朴なものであるが十分に城として機能する。
例えば、ヴァイキングのような敵に対して、モットアンドベイリーはかなり強い。
何せ、攻城戦を想定していない相手からすれば、モットアンドベイリーは攻略するのに苦労する仕掛けが至ると所に施されている厄介な存在だからだ。
とはいえ、モットアンドベイリーの”本当の姿”はそこではない。
むしろ、モットアンドベイリーの真骨頂は『最短で数日〜数ヶ月で完成する』という脅威の建設速度である。
また、その防御力も簡単には崩せない。
数百人程度の襲撃などモットアンドベイリーの前では、脅威ですらないほどである。
ただし、モットアンドベイリーは木造なので、火攻めには非常に脆いという弱点もある。
そのため、モットアンドベイリーはないよりはマシだが、それだけで完全に守り切れるほどの城でもない。
だからこそ、中世ヨーロッパでは時代が下るにつれて、石造の城(ストーンキープ)が普及した。
それでも、即席で作れる防御拠点として、モットアンドベイリーはかなり強く、中世初期のヨーロッパに広く普及した。
モット・アンド・ベイリーの構造【なぜ、強いのか?】
モット・アンド・ベイリーの強さはその構造にこそある。
と言うのも、モット・アンド・ベイリーは素材としてはそこまで強くはない。
むしろ、容易に手に入る素材を工夫して利用している点から、構造的な工夫で防御することが求められた。
そのような背景から構造的な強さをモット・アンド・ベイリーは持っている。
具体的には「モット」と「ベイリー」がこの城塞の要であり、構造的な強さの要因である。
モット(Motte)とは?
モットアンドベイリーにおけるモットというのは、キープのある土塁である。
この土塁は、モットアンドベイリーの堀を作る際に出る、土を素材として生かしたものである。
ただ土を盛っただけとは異なり、キープを支えられる程度の土台となるように整備された人工の丘である。
この丘があることで、モットアンドベイリーは少数でも多くの敵の攻撃を捌くことができる。
例えば、モットがあることで、キープの頂上から遥か遠くを見渡せる利点がある。
その上で、上から一方的に攻撃できる利点もある。
特段、モットは敵として登るのが難しく、犠牲なく攻め入ることはできない程度にはかなり有用である。
ベイリー(Bailey)とは?
モットアンドベイリーにおけるベイリーとは、柵などで囲った広い広場のようなエリアを指す。
主に、領主館(領主などの貴族が寝泊まりできる屋敷)や教会などの重要施設と兵舎や厩舎といったような軍事施設などがある広いエリアでもある。
モットアンドベイリーで最も使われる場所で、守備兵は主にここで活動する。
それと同時に、ベイリーをいかに守るかが最重要である。
というのも、基本的にこのベイリー部分には重要設備が集中しているため、「ベイリーを失う」=「周辺地域へのそれらの重要資源の供給を失う」ことを意味するからである。
よって、ベイリーを失うことは基本的にはできない。
なぜ、モット・アンド・ベイリーは2段構造に分かれていたのか?【戦術の核心】
モットアンドベイリーはモットとベイリーの2段構造で防衛していた。
というのも、基本的に即席で作れる木造城であるモットアンドベイリーは、攻城戦を想定していない相手を前提としているためである。
よって、ヴァイキングなどのような襲撃型の敵が主なターゲットと言えるだろう。
ヴァイキングはその高い機動力を生かし、神出鬼没にして襲撃を行い、略奪を働く厄介な相手であるが、モットアンドベイリーはそうして相手にこそ真価を発揮する。
前提として、ヴァイキングは数百人で襲撃するが、モットアンドベイリーはモットとベイリーを取り囲む堀と柵で防御する。
大体、ここで襲撃は失敗する。
というのも、堀は深くはないにせよ、堀と柵で高低差をつけられるということは、戦術的に不利に立たされることを意味するからだ。
ただ、ここを突破しても意味がない。
なぜならば、次に待つのはベイリーというエリアであるからだ。
ここはさきほど述べたように、重要施設が密集しているエリアであるが、同時に小広い広場でもある。
このエリアは多数で攻めるには小さく、かといって少人数で攻めるには広いという絶妙な広さであるからだ。
守備隊はこのベイリーを守り、周辺地域に睨みを聞かせることができるほどの人数が配置されるので、大人数で攻めても少人数で守ることができる。
では、敵がベイリーを攻略したらどうなるか?
最後に立ちはだかるのは、モットの上に聳える主城としてのキープである。
キープの高さは様々だが、大体が15メートルほどのモットに21メートルほどの高さで聳えている。
そんな高さから矢で射られる危険性を考慮しながら、狭い通路で兵数さを活かせない状況を強制される。
その中で、モットアンドベイリーの中を攻略していく必要が敵にはある。
守備隊は、キープ内にある保管庫から食料や水を消費しながら、一定期間籠城することができる。
これは攻める敵からすると厄介である。
というのも、戦術的に優位な守備隊相手に数に任せて攻略しても犠牲が増える可能性が高い。
かといって、背中を見せてモットアンドベイリーから出たとしても守備隊はキープから出撃し、たちまち敵が攻略したベイリーを奪還できる。
守備隊が籠城しているため、放っておくこともできなければ、多大な犠牲を支払ってまで強引に攻めることもできない。
そのため、モットアンドベイリーは少数でいかにして大多数の兵力を相手にするのかに重点を置いた城なのである。
また、この点を重視したからこそ、あえて2段構造で防衛するという方法が取られた城でもある。
なぜ、モット・アンド・ベイリーが中世ヨーロッパで普及したのか?
中世ヨーロッパでモット・アンド・ベイリーが普及した背景は多くある。
とはいえ、抜粋するとなれば以下のような複数の要素がある。
モット・アンド・ベイリーは圧倒的に「建設が早い」
まず圧倒的に「建設が早い」という利点がモットアンドベイリーにはある。
数日から数ヶ月という単位は中世初期において、脅威的である。
考えてみてほしい。
攻めようとして準備したら、いつの間にか敵が城を築いて防御しているという事実を。
それこそ、秀吉の一夜城のような脅威がそこにはある。
加えて、モットアンドベイリーはシンプルでありながら、全ての素材が現地調達可能なものである。
木材も土も、至る所にあるので、コストがかからない。
建設も難しくはないので、専門職の職人がいなくても領主が徴収した荷役の農民たちでも建てようと思えばできるほどである。
コストと防御力のバランスが良い、モット・アンド・ベイリー城塞
バランスが良いのもモットアンドベイリーの特徴である。
土と木材でほとんど構成されているモットアンドベイリーはその構造上、一定の防御力を保有している。
それは安い割にはかなり使えるかなり”コスパの良い”城でもあることを意味する。
だからこそ、中世ヨーロッパで広く普及したと言える。
モット・アンド・ベイリー城塞はノルマン征服との関係性があるから
モットアンドベイリーはアンジュー地方で使われていたのをノルマン公が「使える!」と判断して、イギリスに持ち込んだものである。
そのため、イギリスではかなりポピュラーで基本的な城になった。
ただ、ノルマン公としては反乱防止のために「すぐに作れて、ある程度守れる城」を求めただけなので、モットアンドベイリーはかなり普及した。
実際に、中世初期におけるモットアンドベイリーはイギリスだけで700を超える数が存在した。
モット・アンド・ベイリーは戦争時、どのくらい強かったのか?
では、モット・アンド・ベイリーは戦争時においてどれほどの威力を発揮したのか?
そう考えた場合、敵の軍勢の規模によって大きく異なる。
ざっくりとであるが、以下のようにまとめることができる。
なお、あくまでもイメージ的なものなので、以下で示すものは必ずしも史実的に正確無比であるわけではない。
小規模戦(盗賊・小軍)→ほぼ無敵
上記でも述べたように、数百人程度の襲撃部隊であればモットアンドベイリーは陥落しない。
堀と柵による多数の敵を食い止める防衛機構はかなり有効だったのだ。
実際にモットアンドベイリーには数十〜数百人程度の守備隊がいたので、小規模な軍や盗賊、反乱した農民たちなどでは攻略できなかった。
中規模戦→時間稼ぎ
中規模(300人程度)では、モットアンドベイリーとはいえ、陥落は免れない部分はある。
特段、攻城兵器を持たれている場合は、落ちる前提で戦争が進む。
つまり、いかにして落ちないのではなく、いかにして時間を稼ぐかである。
時間を稼ぐ場合、基本的には味方からの援軍が来ることになるが、間に合わないこともある。
よって、守備隊は落城することを前提に粘り、敵を消耗させることに重点を置いた戦い方をする。
実際にベイリーに侵攻される前に援軍が着くと、挟撃するという選択肢が取れるので、時間稼ぎは悪くない一手でもある。
大軍→最終的には落ちる
1000人を超えるような大軍相手では、間違いなく陥落するのがモットアンドベイリーである。
というのも、この数になってくると攻城戦を想定していなかったとしても、犠牲を無視することができるためである。
犠牲覚悟で突撃された場合、多くの守備隊は防衛が間に合わずにジリ貧となる。
なので、大軍がくると守備隊は最低限の粘りを見せた後で、ほぼ降伏する。
中世初期なので、降伏しなければ命の保障はほぼないので守備隊も死守することはない。
というよりも地方の守備隊で死守できるほどではないので、落城は免れない。
モット・アンド・ベイリーの弱点【ここが限界だった】
そんな中世初期のヨーロッパで強かったモット・アンド・ベイリーであるが、もちろん弱点はあった。
その弱点は以下の通り。
木造としての弱さをもつモット・アンド・ベイリー
モットアンドベイリーは木造城なので、当然火には弱い。
それこそ、燃えると一気に広がる。
そうなると守備隊はたとえ籠城できると考えたとしても強引に道が作られることになるので、落城することはある。
また、木造とはいえ、木は腐る。
なので、雨風で腐り修繕しなければ、脆くなってしまう弱点も抱えている。
モット・アンド・ベイリーは長期防衛には向かない
実は、モットアンドベイリーは長期戦には向かない。
というのも、保管庫があるとはいえ、せいぜい1週間程度の食料しか中世初期では維持できない。
それほどまでに、食料を長期保管する技術が当時としてはなかった。
つまり、1週間を超えるような籠城戦は原則としてはモット・アンド・ベイリーではできないのだ。
とはいえ、例外はある。
例えば、守備隊が食糧を減らしながら、水だけで飢えを忍ぶ場合は長く持つ。
ただし、1ヶ月も持つようには想定して作っていないので、長期的に籠城して防衛することはない。
また、モットアンドベイリーは周辺地域に睨みを効かせる一定の防御力を持つ城を主体としているので、防衛戦はあまりしない。
基本的には迎撃戦の前線拠点として機能するのがモットアンドベイリーである。
ただその中でも、襲撃を受けた場合に防衛機構が備わっているだけに他ならない。
モット・アンド・ベイリーの終焉?
当然、木は燃えやすく、腐りやすい。
その弱点を克服すべく、後の時代においてモットアンドベイリーは燃えにくく、腐りにくい素材を主体にしなければならなかった。
かといって手に入りにくい素材であってもいけない条件があった。
その弱点と条件を全て満たしたのが、石である。
つまり、石で作れば火矢が飛んできても燃えることはなく、雨風で腐るなんてこともない。
また、木よりも石の方が丈夫であるために、防御力を高めるという点において石造りの城はかなり良い選択だった。
“燃えないため”に石造城への進化したモット・アンド・ベイリー
「燃える」という弱点を克服し、防御力を高めるために、モット・アンド・ベイリーは石造城へと進化していった。
とはいえ、石造りの城はコスパが高い。
というのも、城に必要な適切な石を探し出しては建設地に持っていく必要があったからだ。
特段、城が大きければ大きいほどその素材は大量にいる。
だが、その分だけの防御力も期待できたので、モットアンドベイリーは石造の城への進化し、形式だけが残った。
ここでいう形式とはモットアンドベイリーの基本防衛機構である、モットとベイリーによる2段構えの防衛機構である。
石造の城に進化を遂げた後も形式は残ったが、後の時代ではその形式すらも古くなり新しい防衛機構であるカーテンウォールへと進化した。
結論:モット・アンド・ベイリーは最速で作れる中世初期の最強城塞
色々と解説してきたが、最後にまとめ。
モット・アンド・ベイリーとは、人工的に盛り上げたモットに、キープを建設し、周囲を柵などで囲んだ城郭形式である。
主に、北ヨーロッパの低地やイギリスなどでよく見られ、襲撃や反乱鎮圧のために作られることが多かった。
このモット・アンド・ベイリーは、主に木造で建設された。
そのため、燃えやすく、雨風で腐りやすいという弱点を持っていた。
それでも、当時としては安価で簡素でありながらも数日〜数ヶ月で襲撃に優れた性能を誇る城塞だったので広く普及した。
また、モット・アンド・ベイリーは急拵えでも比較的すぐに作れたので、中世初期においては『最強』を誇った。